【世界一周:チリ】Tweetで振り返るイースター島(ラパヌイ島)編

あっという間に、世界一周旅行から帰国して約1年が経過してしまいました。
Twitterで振り返る世界一周の旅シリーズ、チリ・イースター島(イスラ・デ・パスクアもしくはラパヌイ島)編です。

 

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ペルーの首都・リマから一路イースター島(イスラ・デ・パスクア)へ

 

運転ができないあなたは日本人宿へ作戦

イースター島では沖縄同様、レンタカーが最もメジャーな周遊・移動手段となっています。

が、私は国際免許どころか日本でもペーパー・ドライバー。
そこで今回は例によって「戦略的日本人宿選択作戦」を取り、運良く国際免許保持者が同宿になることを狙うことにしました。

THE・足手まとい!寄生!
ごめんなさい。その分費用出資するので許してください!

(世界一周旅行に出る方は、事前に国際免許を取得することを強くおすすめします!)

 

イースター島では、小さなホステル「ハレ・カポネ」に泊まりました。
到着日にはオーナーの方がわざわざ空港までピックアップに来てくださり、重い荷物を抱えた一人旅には大変助かりました。

www.harekapone.cl

物価の高いイースター島では破格ともいえる価格の安さ。
洗濯物も思う存分できますし、キッチンもあるし、何より男女のドミトリーが分かれています!
とっても真面目なオーナーが運営されていて、メインストリートまで徒歩30秒。美味しいパン屋さんも歩いてすぐです。

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メインストリートの市場ではフルーツや野菜を比較的安く購入することができます。

しかし、島嶼地域ならではの事情で、水や加工食品は非常に高価です。
地元産以外の食品や物資は約3,700kmも離れた本国から輸送されてきます。
(ちなみに、西側の隣国タヒチまでは約4,000km離れています。)

輸送コストがかかる、かさばるものや重い物(お菓子や水)、空輸が必要な生鮮食品の価格は、チリの首都・サンティアゴの数倍となっています。

イースター島に行く際に、抱えきれない程の野菜や食料を持っていく人が多い理由はここにありました。

 

しかし、宿「ハレ・カポネ」では朝いちばんに徒歩数分で焼き立ての美味しいパンを購入可能!本土からパンを買ってくる必要はありませんよ。

モアイめぐりが終われば、近所のスーパーでひえひえビールだって買えちゃいます。
(本土よりちょっと高いけど)

 

 もう見れちゃったよ、第一モアイ

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宿にチェックインのち、まずは島の中心部「ハンガロア村(Hanga Roa)」から歩いて行ける、最寄りのモアイ像「アフ・タハイ(Ahu Tahai)」へ向かいます。

アフは「祭壇」という意味で、モアイ像は小石で作られた祭壇の上にそれぞれ載っています。(祭壇の上に足を踏み入れるのは禁止です!)

海岸沿いを歩くと、遮蔽物がほとんどないため、すぐにモアイは見つかります。

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内陸生まれだと、このように土地が海に囲まれているという状況にたいへん違和感を感じます。こっちをむいても海、そっちを向いても海。

いったいどこからここの人々と石とモアイ像はやってきたのでしょうね。

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鳥人信仰の地、オロンゴ岬

イースター島のモアイ信仰終焉後、人々は鳥人を信仰しはじめました。

祭礼の際には、ラノ・カウ火山のてっぺん、この断崖絶壁のオロンゴの岬から、
海のむこうに見える小島「モツ・カオカオ」まで泳ぎ、渡り鳥の卵を持って帰ってきた勇者の属する部族を統治者としたのだそうです。

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火山の火口の様子。今は水を湛えています。

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最終日は、同じホステルの4人でレンタカーを借り、島に点在するモアイたちをめぐる旅へ。彼らがいなければ、最寄りのモアイを数か所見ただけになっていたかも。
とっても愉快な旅でした。また世界のどこかで会えたら面白いですね。

 

人口爆発が招いた、ラパ・ヌイ島のモアイ倒し戦争

アナケナ海岸(Playa de Anakena)のモアイ像。

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帽子のように見えるのは、「プカオ」と呼ばれる装飾で、当時の「髷(まげ)」を表現したものではないかと言われているそうです。

プカオの石材は本体と異なり、赤みがかかっています。本体の石材とプカオの石材は別の場所から切り出してきたのでしょうね。

 

イースター島ラパ・ヌイ島)では7世紀ごろに石の祭壇「アフ」が作られはじめました。
10世紀以降、石像(モアイ像)が作られるようになり、17世紀まで800年もの間、村々の守り神として島民の信仰を集めていました。島民の数は少しずつ増えていきました。

しかし、モアイ作りには石材だけでなく、石を転がすための「ころ」に大量の木材を要しました。
何百年もの間、モアイ像の建造に材木を使い続けた結果、島の森林は伐採され、肥沃な土は海に流出し、食糧不足が島民を悩まし始めました。

 

増えた人口を維持するために、畑を作るための土地や漁場をめぐり、村同士がお互いに戦をするようになりました。

戦のさいには、相手の村の守り神であるモアイ像の力を失わせるために、目を破壊し、像をどんどん引き倒していきました。

この「モアイ倒し戦争」は50年もの間続いたそうです。

島じゅうのモアイ像は戦によって次々と倒され、年月とともに砂や土のなかに埋もれていきました。最後のモアイ像は1840年頃に倒されました。

 

また、森林破壊によって十分な材木を得られなくなった結果、カヌーや頑丈な家屋を建てることができなくなり、島民の文化は衰退していきました。

18世紀にオランダ海軍や英国のキャプテン・クックが「イースター島」としてこの島を発見したころには、島民の生活は石器時代レベルにまで退化していたそうです。

 

欧州文明への対抗手段をもたない島民は奴隷として島外へ「輸出」され、また残った人口も欧州から持ち込まれた伝染病によって激減しました。

一時は1万人を超えたという島の人口は、
1722年のオランダ海軍の来訪時には約3,000人、
1872年にはおよそ100人の島民が残るのみとなっていたそうです。

 

ちなみに現在は倒れたモアイを起こし、観光地として栄えるイースター島(ラパ・ヌイ島)。人口は約3,700人です。

 

朝日とトンガリキのモアイを拝み、一路チリ本土へ! 

最終日の朝に向かったのは、もっとも有名なトンガリキ(Ahu Tongariki)のモアイ像。
日の出前に宿のみんながたたき起こしてくれたおかげで、朝日に照らされるモアイ像を拝むことができました。

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Tweetでまとめるブログ記事、のはずが、この島では衛星回線でしか通信ができないため、ほとんどTweetを残していませんでした。 

次の大都会・サンティアゴではもっとつぶやいているはず...!?

 

 

 

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